藤田 嗣治
《ラ・フォンテーヌ20の寓話》
木版画
1961年
31×22cm
《ラ・フォンテーヌ20の寓話》より
版上サイン
限定299部
本作は、フランス文学の古典として名高い《ラ・フォンテーヌ寓話》をもとに制作された、全191ページからなる挿画本(限定299部+アーティスト用数部)に収録された一枚です。序文はジャン・コクトーが執筆し、藤田を含む19名の著名画家がそれぞれ一つの物語の挿絵を担当するという、当時としても極めて贅沢で洗練された編集が特徴です。藤田嗣治が担当したのは《ペストにかかった動物たち》。寓話の中でも特に社会風刺性が強く、道徳性の高い作品です。
物語:不平等と偽善が暴かれる寓意深い一章
ラ・フォンテーヌの原作では、王であるライオンが「蔓延するペストを鎮めるため、最も罪深い者を犠牲にしよう」と宣言するところから物語が始まります。
高位とされる動物たちは、自らの罪を巧みに正当化し、次々と無罪放免されていきます。しかし、もっとも下等と見なされていたロバが、ほんの些細な過ち(空腹で聖草を食べてしまったこと)を正直に告白すると、群衆は一斉にロバを罪人に仕立て上げ、犠牲として差し出してしまうのです。
この寓話が批判しているのは、
権力者と弱者の不平等、そして多数派の偽善と集団心理。
藤田はこのテーマを見事に視覚化しています。
藤田の構図:上下に分かれた“階層社会”の視覚化
藤田は物語の本質を捉え、構図そのものに社会的階層を埋め込みました。
● 画面上部:高貴・権威の象徴
ライオン王を頂点に、虎・豹・鷲・シマウマなど“権威ある動物”が堂々と据えられています。
それぞれの姿は威厳を保ち、表情も余裕を漂わせています。
● 画面下部:小動物・弱者の群れ
ウサギ、ネズミ、羊、猪など、弱者とされる小動物がひしめき合い、不安や混乱を象徴する表情や動きを見せています。
● 中央:ロバの悲劇的な位置
ロバは上層(権力)と下層(弱者)のちょうど中間に配置されています。
ライオンの足元に押さえつけられるような構図は、
「不平等に気付かぬまま犠牲にされる愚直なロバ」
という寓話の核心を、非常に的確に視覚化しています。
この“階層構図”は、藤田が物語の寓意を深く理解し、絵画として最大限表現した証でもあります。
藤田ならではの表現——細密さと戯画性の絶妙な融合
本作の魅力は、藤田独特の線描と戯画的表現が木版画との相性よく溶け合っている点です。
• 動物の毛並みや表情を描き分ける繊細な線
• 風刺漫画にも似た誇張やリズム
• 木版特有の柔らかい陰影と力強さ
• 多色摺りによる微妙なニュアンスの重なり
これらが共鳴し、寓話の持つ道徳性を軽やかでありながら深い表現へと昇華しています。
藤田が得意とした“動物表現”が最も冴えた形で表れた挿画のひとつといえるでしょう。
コレクション的価値——文学と美術の交差点に立つ希少作
『ラ・フォンテーヌ20の寓話』は、
• 限定299部のみ(+アーティスト用数部)という希少性
• ジャン・コクトー序文の芸術的価値
• 20名の巨匠が参加した豪華挿画本
• 藤田が物語の核心を的確に視覚化した完成度の高い一枚
という点から、国内外でコレクターから非常に高い評価を受けています。
また、藤田が晩年に到達した「挿画芸術(リヴル・ダルティスト)」の代表的仕事であり、文学作品と美術作品が融合した特別なジャンルを形成する貴重な作例でもあります。
まとめ
この《ペストにかかった動物たち》は、
単なる挿絵にとどまらず、藤田嗣治が寓話の社会批判精神を深く理解し、
構図・表情・象徴性を用いて再構築した“物語絵画”です。
• 寓話の核心を突く視覚化
• 藤田の線描と木版の相乗効果
• コレクションとしての高さ
• 文学と美術が交わる文化的価値
これらが重なり合った、シリーズ中でも特に見応えのある作品といえます。
藤田 嗣治 Léonard FOUJITA (1886-1968)
1886年現在の東京都新宿区新小川町の陸軍軍医の家に生まれる。1910年東京美術学校西洋画科卒業。当時主流であった明るい外光派風の洋画にあきたらず、1913年渡仏。パリのモンパルナスでピカソやヴァン・ドンゲン、モディリアーニらエコール・ド・パリの画家たちと交流する。彼らに刺激され独自のスタイルを追究し、面相筆と墨で細い輪郭線を引いた裸婦像は、「素晴らしい白い下地(grand fond blanc)」「乳白色の肌」と呼ばれ絶賛される。1955年にフランス国籍を取得。1957年フランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を受章。1959年ランスの大聖堂でカトリックの洗礼を受ける。最晩年には、ランスに感謝を示したいと礼拝堂「シャぺル・ノートル=ダム・ド・ラ・ペ(フジタ礼拝堂)」の設計と内装デザインを行った。1968年1月29日チューリヒにて死去、遺体はフジタ礼拝堂に埋葬された。日本政府より勲一等瑞宝章を没後追贈される。