マルク・シャガール
《花束を手に》
リトグラフ
1957年
23×17.9cm
《ジャック・ラセーニュによる「シャガール」》より
限定6000部
制作背景 ― ラセーニュ版における「贈与」のイメージ
本作《花束を手に》は、1957年に刊行された美術史家ジャック・ラセーニュによるシャガール論のために制作された挿画シリーズの一葉です。
このシリーズでは、シャガール芸術を特徴づける主要な主題――愛、詩、記憶、信仰、そして人間の内面――が、簡潔で象徴的なイメージとして描かれています。
《花束を手に》は、その中でも「与えること」「想いを差し出す行為」を静かに示す作品として位置づけられます。
モチーフ ― 花束が象徴する想いと祈り
画面右側に描かれた花束は、シャガール作品において頻繁に登場する重要なモチーフです。
花は愛や祝福、感謝を象徴すると同時に、儚さや記憶の象徴でもあります。
本作では、花束は誇張されることなく、細い線と黒の濃淡のみで描かれています。その控えめな表現は、華やかさよりも内省的で私的な感情を強く感じさせます。
人物表現 ― 夢想するような静けさ
左下には、目を閉じた人物像が簡略化された線描で配されています。
この人物は、誰かに花束を差し出す直前、あるいは心の中で想いを巡らせているかのように描かれ、表情には緊張や感情の高ぶりは見られません。
シャガール特有のこの人物像は、特定の個人というよりも、**普遍的な「想う存在」**として表現されています。
構成 ― 余白が語る詩的空間
画面の大部分は余白によって構成され、中心を貫く一本の樹木のような線が、人物と花束をゆるやかに結びつけています。
この線は、現実の空間を示すものではなく、心の流れや時間の経過を象徴する軸として機能しています。
要素が少ない構成であるからこそ、見る者は線と線の間に広がる**沈黙や間(ま)**を強く意識することになります。
表現技法 ― 線の揺らぎと感情の気配
本作では、輪郭線はあえて均一に描かれず、強弱やかすれを伴っています。
この不安定さが、人物や花束を固定された存在ではなく、感情の気配として漂わせる効果を生み出しています。
リトグラフ特有の刷りの質感が、シャガールの即興的な線を柔らかく受け止め、素描のような親密さを保っています。
シャガール芸術における位置づけ
《花束を手に》は、《黒と青の花束》《灰色の恋人たち》《赤い鶏》などと同様に、
シャガールが生涯描き続けた「愛をめぐる静かな場面」を象徴する一作です。
劇的な構図や強い色彩ではなく、最小限の要素によって、
想いを差し出す行為そのものの尊さを描き出している点に、本作の魅力があります。
コレクションとしての魅力
限定6000部と比較的流通数のある作品ながら、
線描中心の構成は、シャガールの詩的側面を純粋に味わえる一枚です。
空間に静かに溶け込みながらも、見る者の心に余韻を残す作品であり、
ラセーニュ版の中でも、特に落ち着いた魅力を備えた一作といえるでしょう。