マルク・シャガール
《茶色い静物》
リトグラフ
1957年
23×19.8cm
《ジャック・ラセーニュによる「シャガール」》より
限定6000部
制作背景 ― ラセーニュ版における「静物」の役割
本作《茶色い静物》は、1957年に刊行された美術史家ジャック・ラセーニュによるシャガール論のために制作された挿画シリーズの一作です。
このシリーズは、シャガールの主要な主題を断片的に配置し、その精神世界を詩のように浮かび上がらせる構成となっており、本作はその中でも静物を通して物語性を宿す作品に位置づけられます。
モチーフ ― 静物に重ねられた生命の気配
画面には、果物を盛った皿、壺、器といった静物が中心に据えられていますが、それらは写実的に整理されることなく、動物や人物の輪郭と重なり合うように描かれています。
牛を思わせる動物の姿や、上部に配された人物像は、静物と現実世界とが明確に区切られていないことを示しています。
ここでの静物は、単なる日常のモチーフではなく、人間の営みや記憶、生命の循環を内包する象徴的存在として扱われています。
色調 ― 茶を基調とした内省的な画面
本作では、鮮烈な原色は抑えられ、茶色や灰色を中心とした落ち着いた色調が画面全体を覆っています。
そこにわずかな白や淡い色彩が差し込まれることで、重厚な画面の中に静かな光が生まれています。
この控えめな色使いは、華やかさよりも内面的な深みを重視する1950年代シャガールの成熟した表現をよく示しています。
表現 ― 線と擦れが生む詩的構成
形態は明確な輪郭によって固定されるのではなく、線の重なりやリトグラフ特有の擦れによって構成されています。
果物や器、動物の身体は互いに溶け合うように描かれ、静物でありながら画面全体に柔らかな動きが感じられます。
この即興性のある線描は、対象を描くというよりも、思考や感情の流れをそのまま画面に写し取ったかのような印象を与えます。
シャガール芸術における意味
シャガールにとって静物は、外界の再現ではなく、内面世界を映し出すための舞台でした。
《茶色い静物》では、日常的なモチーフの背後に、動物や人物、時間の気配が重ねられ、
静物が「生きた記憶」として立ち上がっています。
同じラセーニュ版に含まれる《黒と青の花束》《村》《梯子》などと共通し、
本作もまた、現実と夢、物と生命の境界を曖昧にするシャガール芸術の本質を端的に示しています。
コレクションとしての魅力
限定6000部という比較的多いエディションながら、
静物・動物・人物が交錯する構成は見応えがあり、
シャガールの詩的世界観を落ち着いたトーンで味わえる一作です。
派手さを抑えた色調は空間にも馴染みやすく、
コレクションの中で静かに存在感を放つ作品として評価されています。
マルク・シャガール Marc CHAGALL (1887-1985)
帝政ロシア(現ベラルーシ)のヴィテブスクに生まれる。1907年ペテルブルク(現サンクト・ペテルブルク)の王立美術学校で学び、そこでの経験が彼の芸術に深い影響を与えた。1911年、シャガールは「蜂の巣」と呼ばれるアトリエに移り、そこでロベール・ドロネー、フェルナン・レジェ、モディリアーニなどの画家たちと交流した。この時期に彼の独自の絵画スタイルが花開き、色鮮やかで幻想的な要素が取り入れられた。1963年、パリ・オペラ座の天井画を制作。1977年にはレジオン・ド・ヌール最高勲章を授与された。1985年ヴァンスで死去。シャガールの作品は、空中を浮遊する恋人たちや故郷の素朴な風景など、独自の幻想的な要素が取り入れられ、国際的に高い評価を受けた。彼の油彩画、版画、挿絵などは、美術ファンを魅了し続け、その芸術は時代を超えて多くの人々に感動を与え続けている。