マルク・シャガール
《ザブロン族》
リトグラフ
1962年
30×22.5cm
《エルサレム・ウインドウ》より
限定5000部
作品の位置づけ ― 「海と交易」を担う部族としてのザブロン族
本作《ザブロン族》は、マルク・シャガールが1962年に完成させた《エルサレム・ウインドウ》連作のために制作されたリトグラフ作品です。
ザブロン族は、旧約聖書において海に近い地を与えられ、航海・交易・移動を象徴する部族とされています。
シャガールはこの部族の特性を、風景描写ではなく、魚・舟・水の流れ・色彩のうねりによって詩的に表現しています。本作は、十二部族の中でも特に「動き」と「広がり」を強く感じさせる一枚です。
魚と水 ― ザブロン族の宿命としての「海」
画面全体を満たす赤と橙の中に、複数の魚のモチーフが配されています。
魚は古来より、生命、繁栄、移動、祝福を象徴する存在であり、特にザブロン族においては海と共に生きる民であることを示しています。
シャガールの描く魚は、静止しているのではなく、互いに呼応しながら泳いでおり、交易によって世界とつながるザブロン族の役割を暗示しています。
舟のモチーフ ― 移動と出会いの象徴
画面下部に描かれた舟は、単なる漁船ではありません。
それは、人と人、民族と民族、土地と土地を結ぶための「媒介」として描かれています。
シャガールにとって舟は、故郷ヴィテブスクからの離脱、亡命、遍歴の象徴でもあり、ザブロン族の物語と自身の人生を重ね合わせていることがうかがえます。
赤に染まる世界 ― 情熱と危うさを併せ持つ色彩
本作を支配する赤色は、ユダ族の赤とは異なり、血や犠牲というよりも、情熱、活力、危うさを強く感じさせる赤です。
交易と航海は繁栄をもたらす一方で、常に危険と隣り合わせであり、その二面性をシャガールは色彩で巧みに表現しています。
赤の中に浮かぶ紫、緑、青は、未知の土地や異文化との出会いを象徴し、ザブロン族の開かれた性質を示しています。
ヘブライ文字 ― 神の言葉と海の上の契約
画面上部に配されたヘブライ文字は、ザブロン族が神の祝福のもとにその役割を与えられていることを示しています。
陸ではなく海を舞台とする部族であっても、その行為は常に神との契約の中にある――
シャガールはこの点を、文字を浮遊させるように配置することで象徴的に表現しています。
本作の意義 ― 動き続ける部族の詩的肖像
本作《ザブロン族》は、《エルサレム・ウインドウ》連作の中でも、最も流動性と開放感に満ちた作品といえます。
限定5000部のリトグラフ作品ではありますが、ステンドグラス原画に直結する精神性を色濃く宿しています。
土地に根を下ろす部族が多い中で、ザブロン族は「移動し、結び、広げる」存在です。
シャガールはその役割を、風景ではなく、色と象徴のリズムによって描き切りました。
本作は、民族の歴史を越えて、人が世界とどう関わり、どう他者と出会うのかを問いかける、極めて現代的な一枚でもあります。