モーリス・ド・ヴラマンク
《山と湖》
リトグラフ
1962年
34×47.5cm
《黒と色彩で》より
版上サイン
限定298部
作品の位置づけ ― ヴラマンク晩年の「風景表現」の到達点
《山と湖》は、1962年に刊行されたリトグラフ集
『黒と色彩で（En Noir et en Couleur）』 に収められた一作です。
この版画集はヴラマンク没後に刊行されたものですが、収録作品はいずれも生前に本人が原版を制作したオリジナルリトグラフであり、晩年の芸術観を直接伝える極めて重要なシリーズです。
本作は、ヴラマンクが生涯描き続けた「風景」という主題を、
色彩・黒・構造のすべてにおいて凝縮した晩年の集大成的作品と位置づけられます。
構図 ― 木立が切り取る静謐な世界
画面の手前には、太く垂直に立つ木々が配置され、その隙間から湖と山並みが見渡せる構成となっています。
この前景の木立によるフレーミングは、単なる写生的表現ではなく、風景を一種の舞台として提示する装置です。
観る者は、森の奥から湖を覗き込むような位置に置かれ、自然の内部に入り込みながら、同時に距離を保って眺める感覚を覚えます。
これはヴラマンク晩年の風景にしばしば見られる、内省的で瞑想的な視点をよく示しています。
色彩 ― 青と黒が支配する沈黙の風景
本作を支配するのは、深く重い青と、それを支える黒です。
空と湖は澄んだ青で描かれていますが、決して軽やかではなく、むしろ重厚で冷たさを感じさせます。
そこに、木の幹に配された黄や緑が強い対比として置かれ、風景全体に緊張感とリズムを与えています。
ヴラマンクは晩年、色彩を感情の爆発としてではなく、自然の本質的な重さや沈黙を表す手段として用いるようになりました。
この抑制された色使いは、フォーヴィスムの激情を経た画家だからこそ到達できた境地と言えるでしょう。
黒の役割 ― 風景を構築する骨格
《黒と色彩で》という版画集のタイトルが示す通り、本作においても黒は極めて重要な役割を果たしています。
木の輪郭、枝の線、地面の影などに用いられた黒は、単なる輪郭線ではなく、風景を支える骨格そのものです。
黒によって画面は引き締められ、色彩は流れ落ちることなく定着します。
これは、ヴラマンクが晩年に到達した「黒を恐れず、むしろ味方につける」姿勢の明確な表れです。
リトグラフ表現 ― 油彩に迫る重厚さ
本作はリトグラフでありながら、木の幹のざらつき、湖面の揺らぎ、空気の重さまでもが感じられるほどの物質感を備えています。
これは、ヴラマンク自身が石版上で直接描き、
筆致・圧力・色の重なりを油彩と同じ感覚で扱っているためです。
刷りはムルロ工房によって行われており、ヴラマンク特有の荒々しさと重厚さを、極めて高い水準で再現しています。
版上サインと限定部数 ― コレクションとしての価値
本作には版上サインが入り、限定298部という非常に少ない部数で制作されています。
『黒と色彩で』に収められた作品群は、ヴラマンクのオリジナルリトグラフの中でも評価が高く、油彩作品に代わる「ヴラマンク芸術の核心に触れられる存在」として国際的にも認知されています。
特に本作のような風景画は、ヴラマンクの本質である「自然と格闘する画家像」を最も端的に示すため、コレクション性・美術史的価値の両面において非常に優れています。
激情を超えた静かな強度
《山と湖》は、フォーヴィスムの激しさを内側に沈め、自然の持つ重さと沈黙を真正面から受け止めた、晩年ヴラマンクの成熟を示す風景作品です。
派手さはありませんが、長く向き合うほどに、色と黒が静かに語りかけてくる深い一枚です。
ヴラマンクの芸術を本質的に理解するうえで、極めて重要な作品と言えるでしょう。
モーリス・ド・ヴラマンク Maurice de VLAMINCK (1876-1958)
パリで生まれ、ほぼ独学で絵を学ぶ。1900年、シャトゥー出身の画家アンドレ・ドランと偶然知り合って意気投合し、共同でアトリエを構える。1905年にアンリ・マティス、アンドレ・ドランらと物議をかもした展示サロン・ドートンヌに参加。その鮮やかでありながらも不自然な色合いの作品を見た批評家ルイス・ヴォクセルは「フォーヴ（野獣）」と叫び、これをきっかけにフォーヴィスム運動が始まった。第一次世界大戦後はセザンヌの影響を受け、原色中心の作風から茶や白を基調とした落ち着いた色調へ移行。風景画や静物画を多く制作した。
