DETAIL
藤田 嗣治
《女と猫》
ドライポイント
1927年
35.5×45.2cm
ルーヴル美術館カルコグラフィ
版上サイン
額・黄袋・箱付き
藤田嗣治にとって、猫は単なる身近な動物ではなく、作品世界を形づくる重要なモチーフでした。藤田のアトリエには常に数匹の猫が寄り添い、彼はその優雅で自由な姿に深い愛着を抱いていました。1927年に制作された本作《女と猫》は、そうした藤田の「猫へのまなざし」が最も洗練された形で結実したドライポイント版画の代表作です。
ベッドに横たわる女性と、丸くなった猫が穏やかな沈黙を共有するこの場面は、親密でありながら、どこか孤独を漂わせます。柔らかくも緻密な線で表現された女性の肌や、丁寧に刻まれたシーツの陰影は、藤田ならではの日本画的感覚と、西洋版画技法の融合を示すものです。まるで絹に光が溶け込むような質感は、彼の線描の頂点を物語っています。
藤田は生涯を通して数多くの猫を描きました。代表作《猫を抱く裸婦》(1921年)では、裸婦の柔らかい身体と猫のしなやかさを重ね、官能と愛情を同時に表現しています。また《眠れる猫》(1926年)では、猫をまるで夢の中の守護者のように描き、女性の無防備な安らぎを強調しました。本作《女と猫》はこれらの作品と比較すると、より心理的で内面的な性格を帯びています。女性は猫を見つめながらも触れず、寄り添いながらも交わらない——その距離感が、親密さと孤独、安らぎと緊張といった二面性を繊細に表現しているのです。
猫は藤田にとって「自由でありながら不可侵な存在」であり、そのイメージはしばしば女性像と重ね合わせて描かれました。猫の孤高な気配は、女性の官能と同時に、独立した個としての強さを暗示しています。ここにフジタ独自の美意識——親密でありながら決して支配できない関係性へのまなざし——が宿っています。
本作の原版はルーヴル美術館カルコグラフィに永久保存されており、藤田の版画作品の中でも完成度と希少性の両面から極めて高く評価されています。1920年代パリの自由と退廃、そして藤田独自の詩情を最も繊細な形で映し出した傑作といえるでしょう。
【ルーヴル美術館カルコグラフィ】について
ルーヴル美術館のグラフィックアート部門にあるカルコグラフィ工房では、今も伝統的な技術を継承し貴重な原版のコレクションから版画作品が生み出されています。
ギリシア語で「銅に書いたもの」を意味する「カルコグラフィ(chalcographie)」は、フランスにおいて銅版彫刻で刷られた版画、またその原版を保存する場所を表しますが、ルーヴル美術館においては、同館グラフィックアート部門カルコグラフィ室を指すと同時にその工房で刷られた版画を意味します。
ルーヴル美術館の原版コレクションは、17世紀に絶対王政を極めたルイ14世がフランス王家の権勢を国内外に知らしめるため、壮麗なイベントや王宮、芸術作品などを銅版画によって記録することを奨励したことに始まります。続く歴代の王たちの下、原版コレクションはさらに豊かなものになり、革命を経た1797年に王家所有の3000枚のコレクションを引継ぎカルコグラフィ室が設立されました。
原版のコレクションはブルボン朝の歴代国王や皇帝ナポレオンゆかりのもの、そして現代作家の作品に至るまで多岐にわたります。歴史・文化の伝播や芸術の普及、そして人々の教育と、数百年にわたってさまざまな目的で用いられてきたカルコグラフィは、原版が永久保存され現代もなお私たちの目を楽しませ続けています。
藤田 嗣治 Léonard FOUJITA (1886-1968)
1886年現在の東京都新宿区新小川町の陸軍軍医の家に生まれる。1910年東京美術学校西洋画科卒業。当時主流であった明るい外光派風の洋画にあきたらず、1913年渡仏。パリのモンパルナスでピカソやヴァン・ドンゲン、モディリアーニらエコール・ド・パリの画家たちと交流する。彼らに刺激され独自のスタイルを追究し、面相筆と墨で細い輪郭線を引いた裸婦像は、「素晴らしい白い下地(grand fond blanc)」「乳白色の肌」と呼ばれ絶賛される。1955年にフランス国籍を取得。1957年フランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を受章。1959年ランスの大聖堂でカトリックの洗礼を受ける。最晩年には、ランスに感謝を示したいと礼拝堂「シャぺル・ノートル=ダム・ド・ラ・ペ(フジタ礼拝堂)」の設計と内装デザインを行った。1968年1月29日チューリヒにて死去、遺体はフジタ礼拝堂に埋葬された。日本政府より勲一等瑞宝章を没後追贈される。